How to 人の愛し方

朝日を浴びて 猫にキスして 夜に恋する

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ(ネタバレ)


※この記事は「この小説を読んでみたいけど難しそうだから予め内容を把握してから読みたいな」「ネタバレでいいから読んだ人の感想を知りたい」という人向けのただのネタバレ感想文です。
自己判断でお読みください。

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この物語は主人公キャシーの"介護人"としての日常から始まります。

キャシーは"ヘールシャム"という施設で育ちます。
共に過ごし、"提供者"となった仲間たちの介護をするのが、介護人としての彼女の仕事です。


"提供者"


これが物語のキーワードになります。
ですがこの謎については意外と早く-----物語の中盤あたりで-----明かされることになります。

場面は変わり、キャシーのヘールシャムでの日々に遡ります。
ヘールシャムはとても大きな施設で、教室があり、運動場があり、体育館があります。
想像すると小学校のようなイメージになると思いますが、それで正解だと思います。
ただ、重要なのは、そこには森や池や、充分な自然があり、ヘールシャムで暮らす子どもたちにはこの場所が全てであるということ。
ヘールシャムより外の世界には、想像でしか旅ができないということです。

それでも、ヘールシャムで暮らす子どもたちはそれを問題にはしません。
彼らにとってはそれが当然の環境であり、そう思うように保護官(施設にいる大人-----教育機関で言う先生のような立場-----のことです)に教えられてきたからです。

ですが、彼らはそこで一生を終えるわけではありません。
彼らにも、ヘールシャムを出る時期が訪れます。
18 歳の春です。

生まれてから施設を世界の全てとして育ってきた彼女らも、もう幼いばかりの子どもではありません。
この時期になれば、外の世界のことに想いを馳せるようになります。
鮮やかで輝かしい将来の夢を語り合います。

ある少年が、「将来、映画スターになれるといいな」と話しました。

すると、それを聞いた保護官は憐れむような表情をして、すぐにその少年を怒鳴りつけます。

将来の夢を語っただけでどうして保護官は怒るのでしょうか。
映画スターなど無謀だと、不可能だと言いたいのでしょうか。

違います。

保護官はこう言いました。

「そんな馬鹿なことを考えるのはやめなさい。将来の夢なんて考えてもただ滑稽なだけです。虚しいだけです。
あなた達の将来は決まっているのですから。」

あなた達は普通の人間とは違います。

人間から複製された、臓器提供のためのクローン人間なのですから、と。


こう言われても驚くことはありません。
だから、自分たちはセックスをしても子孫を残ことはできないのだ。
そういう役割を担って生まれてきた存在ではないのだから。

そんなこと、わかっています。
彼らはわかっているんです。

だって、幼い頃からそれが当たり前だという風に言い聞かされてきたのですから。

それでも、ほんの冗談として、夢見がちな妄想として、現実味を帯びる前の絶望の中に見出すほんのささやかな希望として、将来の話をせずにはいられなかったのです。

保護官の言ったとおり、彼らのヘールシャムを出てからの運命は決まっていました。

自分よりも先に施設を出て、臓器提供者となった仲間の介護をする"介護人"になるのです。
そして、その介護人の期間を過ぎ、知らせが届けば次は自分が提供者となる。

それが、彼らの前に敷かれたレールなのです。




彼らの過ごす日常は、成長も、友情も、恋もあります。
大切な思い出も、わたしたちの日常と同じ、瑞々しい何もかもがそこにあるんです。

それが本当に悲しく、目の前が霞みました。

ヘールシャム時代、ある時キャシーが大切にしていたカセットテープが失くなるという出来事が起こります。

その数週間後、親友のルースが販売会でカセットテープを手に入れ、それをプレゼントしてくれましたが、ルースのくれたカセットテープの曲名をみると、キャシーが失くしたものとは似ても似つかない曲でした。
一瞬落胆したものの、音楽に全く興味のないルースが、販売会で-----当時販売会というのは外の世界の物を手にするとても貴重な機会でしたし、当然お金の代わりとなる販売券はさらに貴重なものでしたから-----自分のためにこのカセットテープを手に入れてくれたという事実に、すべての暗い気持ちが晴れていくようでした。

ルースを抱きしめ、「本当にありがとう、すごく嬉しい」と伝えました。
ルースは、「あんたが好きそうなやつかなと思ってさ」とはにかむように笑います。

キャシーとルースの、友情の一部を切り取った出来事です。

この数年後、キャシーは提供者となったルースの介護人になります。
提供するごとに弱っていく親友を、その使命を全うする姿を、見守り続けます。
そうして、自分が提供者となる日を待つのです。

この物語は、そんな運命を受け入れなければなりません。


題材はとてもシビアです。
どれだけ明るいことが描かれていても、根本にはその題材が必ずついてきますから、そういう意味では本当の幸せなんてひとつも無い物語かもしれません。

それでも、その中にある光も本物だとわたしは思います。
彼女らの日々は、間違いなく、かけがえのない、輝かしい青春でした。

彼女らが大切にするその思い出が、そこに向ける想いそのものが、この小説が一番伝えたいとする部分なのかもしれません。

心にあるただ美しいだけの思い出を-----いつか忘れてしまうかもしれない思い出を----- それこそが何よりも自分を支えてくれると、永遠に失わない宝物だと気付かせてくれます。

わたしは、この小説は是非、絶望ではなくそこにある希望に焦点を当てて読んでいただきたいと思いました。


おしまい